独りの時間
2012年3月23日(金)
私は、本屋に居ると時間を忘れて、ずーっと居るタイプの人間ですので、
妻や子供が一緒だと、堪能できずに帰ってくることになります。
それでも、同行した人にとっては、とても長い時間滞在しているようなのですが...。
久しぶりに、妻も子供も居ない休日を過ごすことになったので、
仕事で使う本を買うこともかねて、本屋に行ってきました。
でも目的の本は置いてなくて、買えませんでした。
それでも、本屋で過ごす時間は、至福の時です。
特に、自分の網にかかっていなかった本を見つけたら、ヨッシャー!って感じです。
っていうか、そんな本を探しに半日をかけます。
そして、気に入った本を何冊か買って帰ります。楽しくなると気持ちが大きくなります。
レジに行くと、諭吉さん1人では足りず、100円玉を追加してご精算。
のんびり、家に帰って読書が出来ました。
えーっと、目的の仕事の本は、買えなかったのですが、趣味の本はいくつか買えましたので、
良い一日でした。
家族も大事ですし、一緒に過ごすのも大事ですが、
たまには、家族に合わせなくて良い時間、自分の時間を作る事、大事ですよ。
個人としてもリフレッシュしないと、家族と一緒に楽しむことができなくなりますからね。
新人研修
2012年3月22日(木)
新人研修が始まります。
今年も多くの新人が入職するのですが、私自身ビジネスマナーについては、今でも難しいなと思っています。
なぜなら特に、言語能力の乏しさには頭を抱えます。
習慣について
何気ない自分の癖が出てしまいます。出身の方言、今風のことば、生活で無意識に多用する言い方。
(恥ずかしい)
標準日本語について
勉強不足が災いしています。
(恥かしい)
言葉の意味について
何気に使っている言葉ではありますが、本来の意味を十分知っていません。
もう少し意味を知って使うようにしていればと思います。
(恥しい)
その様な人物ですので、
新人がビジネスマナーで学んだ事を台無しにするのではないかと思うとヒヤヒヤしております。
また学ばれた事で、私の能力不足を露呈してしまいます。
(大恥です)
だから私は、再度勉強させて頂く良い機会を与えて頂いたとポジティブに思う事にしています。
新人がマナーを学んでも、それを活かす現場やスタッフ、上司方々のマナーがなっていなければ十分発揮できないと思うのです。
そのためには、私たちも年に1回マナー訓練を受ける気持ちで取り組んでいきます。
新人の諸君、共に学んでいきましょう。
今日の大原
2012年3月21日(水)
朝いつも通り車で出勤していると八瀬、大原の山々や民家の屋根はうっすらと雪化粧。右の写真は9時半頃の病院から見える景色です。今日は天気が良いので周辺の雪はすっかりなくなってしまいましたが、右奥に見える山はまだまだ雪化粧です(分かりにくい写真ですが・・・)。
といいながらも、春の足音は少しずつ聞こえてきています。
自然に囲まれた大原では少しですが土筆が顔を出しています。私が小さい頃は近所の田んぼで土筆をたくさん取っては祖母に料理してもらっていました。
最近の若い子は(こんな言い方をするとおばちゃんみたいですが・・・)土筆を食べたことのない子も多く、なんだか寂しい限りです。
ところで、当院では今日から新人さんのオリエンテーションが始まりました。
今年も全国各地から故郷を離れ、京都の地へ来ています。今年の新人さんは全員が法人の準備している職員寮へ入寮するそうです。引越しや初めての一人暮らしで不安もあると思いますが、同期や先輩がいる寮生活は心強いのではないでしょうか。
これからの新生活、今日の気持ちを忘れずに仕事もプライベートも充実させて大原ライフをエンジョイして欲しいですね。
ゆるキャラ(あるいはローカルニュース)
2012年3月20日(火)
3/20。私事ですが、琵琶湖畔に居を構えて丁度12年になります。
近年観光客誘致に力を入れている地域です。
今日地元雄琴のおごと温泉観光公園では、ゆるキャラ「おごとん」のお誕生祭が開催されました(お誕生祭と言っても、何歳なの不明)。
2shot写真を撮るとき、息子曰く「下から覗いたら髭面のおっさんがいはった」だそうです。
春がやってきた①
2012年3月20日(火)
今日は春分の日です。
私が新人だった頃、春分の頃の京都大原では、
シーズン最後の雪が積もるのが定番でしたが、最近はめっきり無くなりました。
今朝の気温もかなり寒かったですが、昔の京都はもっと寒かったということでしょうか・・・。
さて、春分の日ですが、
昼と夜が半々になるという日だということをご存知な方が多いと思いますが、
厳密には、太陽が出ている時間のほうが長いそうで、(詳しくは、春分で検索)、
春分の日の4~5日前に「日の出~日の入」が、ちょうど半日になるそうです。
春の風物詩といえば、
花灯路(今日まで)があって、哲学の道や円山公園などの桜が咲いて、
東山界隈を中心に、観光客でとても賑やかになる時期です。
また、
京都は学生の町・・・・、このシーズンは出入りがとても激しいので、
最近、引越し業者のトラックがそこらじゅうで忙しそうです。
「冬」が終わり、人が動き始める「春」を感じる今日この頃です。
縁(えにし)と相性
2012年3月19日(月)
出ました・・・
何がって、自家感作性皮膚炎です。先週鏡を見て気がつきました。あまり痒みもなく、いつもとは違う場所に出ていたので(いつもは前腕)、鏡をちゃんと見るまで気がつきませんでした。
髭をそると悪化させる可能性もあるので、一週間も髭を剃っていません。こういう稼業ですから、職場で素顔をさらすわけにもいかず、ずっとマスク装着中です(まぁ、花粉症もあるんですけど)。マスクで隠しているとは言え、よく見れば無精髭が伸びているのがわかりますから、職場内をあまりうろつかないようにもしています。
お陰さまで、頭皮の湿疹は残っていますが、顔の部分はましになりました。油断をするとぶり返すので、後しばらくは髭剃りできないでしょう。トム・クルーズの筈が只のオヤジ顔です・・・orz
それはともかく今だ当院は新年度採用分を募集中です。先週末も採用試験を行いました。今週も今のところ就職のための見学予定が入っています。
当たり前の話ですが、募集はしていても応募してくれば誰でも採用するわけではありません。今日の時点で理学療法士、作業療法士、言語聴覚士合わせて20名の内定者がいますが、ここに至るまでに何人もの応募者が不採用となりました。
当院の場合採否を左右するのはまず面接です。こういう書き方をすると、不採用の場合人間性を否定しているようにとられかねませんが、そうではありません。
私自身採否を決める会議では「駄目」という言い方をしますが、それは当院には「駄目」と言う事であって、言い換えれば当院には「合わない」ということです。京都大原記念病院では活躍できなくとも、他の場所では持てる才能を生かせるということです。京都大原記念病院ではあたら才能をつぶすのみと言う事です。いずれにしろ可能性でしかありませんが。
合わないというのもいろいろな理由からですが、最たる理由は―当院では技術職というのを教えられなくとも、創意工夫で何とか格好つけるもの。教えてできるものならその辺のオッチャン、オバチャンに教えても出来るはずだから、資格など必要なしと考えています。かたや就職を望む人が就職先にセラピストとしての技術や知識を教えてもらおうと期待しているならお門違いと言えます―いかがですかこんな両者では「合わない」というのもお分りいただけると思います。
ですから面接で採用されなかったからと言って、人間性が否定されたと考える必要はないわけです。言うなれば選択を間違っただけで、それも応募者側のみが間違ったわけではなく、不採用を決めた当院側が間違っていることだってあるわけです。
そのミスマッチですが、採否を決めるのはわずか2時間にも満たない採用試験で決めなければなりませんが、応募する側にとっては十分吟味する時間があるわけです。最近は事前にネットで情報収集する事は当たり前のようですが、そこで終わる学生さんが非常に多いです。わずかA4サイズ1枚の求人票とホームページを見ただけで、1時間半ほどの施設見学をして、応募するかどうかを決める人がほとんどです。こちらから渡した資料をほとんど読まずに採用試験に望む人が大多数ですし、資料にないような質問をして吟味する学生さんなど皆無です。これではミスマッチがおきても仕方ないと思います。
一方でどれほど吟味しても、蓋を開けてみなければわからないと言う事もあるわけで、そんなこんなを考えると就職も男女の仲と一緒で縁と相性につきますね。
スタッフ紹介:紅一点
2012年3月18日(日)
紅一点の執筆者は、
リハビリテーション部のおっかさんです。
見た目はおっかさんって言うよりは、年を重ねてもお姉さんって感じがする元気な人です。
本当に元気で、いくつになっても健康優良児です。
病気で休むとか、熱を出すって事がまったくありません。
九州のおなごは・・・っていわれますが、
九州から来たこのおっかさんもそんな感じだと思ってください。
強いですよ、
セクハラしてくる患者さんがいたって、説教し返していたような人です。
リハビリテーション部がお母さん職員や子持ちの職員がすごしやすいのは、
このおっかさんが、パワフルに仕事をして、仕事しやすい環境づくりをしてくれたからなんです。
後は、わが部の管理職の中でも、良心の役割でもありますし、潤滑油にもなって、その上バリバリウーマンですね。
本人はいたって普通のつもりですが、真似は難しいですね。
見た目少しきつめの美人さんです(昔は、もっとキレイでした)。
とっても気さくで優しい元気な人です。
でも・・・甘くはないです。
私が、
「こら!」「なにしてんの!」っておこられることは、最近減ったかな?
勉強会
2012年3月17日(土)
昨日、勉強会を致しました。
この勉強会、学びたい方々が自分たちで企画・運営を基本に立ち上げされたそうです。
いわゆる、勉強を押し付けるとか,やらされている感でなく、自ら必要であると実感して行動されたものと思います。
それに講師として参加している訳ですが、指導とはいかないにしてもディスカッションできればと思い協力しております。
当初の参加者の中では、興味本意や付き合いで参加されている方も多く、
勉強会開催時は
ディスカッション0
質問0
理解反応0
の状態でありました。
指導権はすべて私の手の中にある、いわゆる すべて お・ま・か・せ でした。
この先、大丈夫かな?継続する事ができるのかな??と思っておりました。
予感は的中。
1回きりで、その後、何の連絡もなく半年が経過。
忘れた頃に、
勉強会の講師、再びお願いしても宜しいですか?とお話がありました。
(結局、予感はハズレてしまいました)
断る事もできましたが、そこは年の功でなにも言わず引き受けました。
再び開催しても前回と同じだろうと思いながらも。
実際、 同じ雰囲気 同じ興味 同じ反応 それ自身同じ姿勢でした。
違ったのは、次いつお時間ありますか?
この一言が、今に繋がっています。
確かに参加人数は少なくなりました(私の力不足もありますが)。
しかし今では学ぶ方々の
目が違い 質問の内容までも違い 受ける姿勢までが違い、
本気です。
こちらが質問は?など言う必要もありませんし、解らないと思えば、もう一回と帰ってきますし、ディスカッションができるまでには、なってきました。
たった一言が次に繋がり、今では楽しく勉強会?ディスカッションをさせて頂いております。
しかし言葉とはすごいですね。改めて痛感致しました。
また、同じ時間をコツコツと積み重ねる事で、お互いを知る事ができ、お互いの垣根が低くなりと、これら継続する事も大切だと思いました。
やはり継続は力なりですね。
なっとく
2012年3月16日(金)
私は子供の頃から、少し難のある性格でして、(少しか?っていう突っ込みは無しで)
自分が理解・納得できない事を行動に起こすことができません。
無理にしようとしても、頭も体も動きません・・・・まったく。
それはもう、
自分の人生を左右するような試験でも徹底していまして・・・
答えにAと書けば正解としてもらえる事は判っていても、
なんでそういうふうになるのか?に納得できていないと、Aとは書かず、
自分の力で何とか出せるBという答えを書いていました。
年賀状だって、
人間関係やコミュニケーションとして、とても重要だとはわかっているのですが、
「似たような一言コメントを書くのはどうなん?」と思ってしまうので、
筆が進まず、結局ほとんど出しません。(べつに同じコメントでもいいのにね)
さて、 私の場合は極端にしても、
多かれ少なかれ、みなさんにも近いことはあるのではないでしょうか?
頭ではわかっていてもなかなかできないこと、
簡単だとは思うけれども実行できないこと、
反対でもなく逆らうつもりは無いけど同意しかねること・・・・。
そんなとき、
いくらお手伝いしてくれてもなかなかできないと思いませんか?
ときどき、自分の難のある性格に気づく度に、
周りにあるそんなことに気づいてあげないとなぁと反省しきりです。
卒業式
2012年3月15日(木)
今日は多くの京都市立中学校で卒業式が行われました。
うちの子どもも3月22日に京都市内の小学校を卒業します。
入学したての頃は『早く休みが来ないかなぁ』と行かなきゃダメだから学校へ行く!みたいな子でしたが、卒業式を間近にして「卒業したくない!」とか「先生や友達と別れる(近所の公立に行くお友達がほとんどなんですけど・・・)のが寂しい」と言っています。これも親にくっついてばかりだった子が親離れしてきた証拠かなと寂しい反面、子の成長を感じるこの頃です。
ところで皆さん、自分の卒業式の事って覚えてらっしゃいますか?
私もかれこれ20数年前、リハビリの専門学校を卒業しました。成人式の時に祖母から誂てもらった振袖を着て・・・。これまで卒業式に親に来てもらった記憶があまりないのですが(両親が学校の先生をしていたので)、初めて両親揃ってきてもらったのを覚えています。
その後両親の元を離れて(私は九州女!!)京都に来たわけですが、
田舎をでる時に父から「自分で決めたことは自分の責任、他人のせいにするのは許されない。これからは自分の行動に責任を持って頑張りなさい。」と言われました。
他人のせいにしないこと、自分の行動に責任を持つ。その時は「当たり前の事やん。」と軽く聞いていましたが、社会人として働いていく中で父からもらったこの言葉の難しさを痛感しています。
本人は人のせいにしたり、責任転嫁している気はないのに、はた目から見ると言い訳したり、責任転嫁している・・・それに気付いていない自分がいる。
本当に難しいですね。
でも、昨年行われた院内研修会に来られた先生がおっしゃっていました。「人を変える事は難しいけど、自分自身は変われる」と。
アラフォーギリギリの年齢にはなってきましたが、まだまだ人間修行中です。