家族は特別
2012年3月31日(土)
子供が生まれてから、よく思うようになったことがあります。
仕事と生活は別物だなあっと。
たとえば、自分の患者さんの訓練だったら、
こんな訓練したくないって言われても、
次どうしたら、この方はもっとやりたくなるだろう、もっと頑張れるだろう、もっと上手くできるだろうって、
考えて、会話を考えたり、話し方を変えてみたり、自分をコントロールすることが多少なりともできてたはずなのに、
相手が自分の子供だと、
こらっ!、やりなさい!、ダメ!、アカン!っとなんとボキャブラリーの少ない会話をしていることか。
それも、否定の言葉ばかり、これでは教育上良くないなって思いつつ、
仕事だったら出来ることも、いざ家族の前では、感情が先立って上手くできませんね。
患者さんのご家族から、
「家族でも大変なのに、偉いですね。大変な仕事ですね。」と声をかけられることがありますが、
ほんとうは、「家族だから大変なんです。他人だから仕事として余裕が生まれるんです。」ってことなんですよ。
家族の介護は、気持ちが先に立って、当人が居ないときはこうしてあげようって思っていても、
いざ、前に行くと、いつもの対応に戻ってしまう。
そして、してあげたかったことが、出来なかったことに悔やんでしまいます。
それも、家族だからこそ、起こってしまいます。
そして、ずーっと1対1で居るとよりそうなってしまいます。それが普通なんです。
だから、いろいろなサービスが生まれてるんですよね。
互いに違う相手とも交流を持って、発散しながら生活する必要があるんです。
大事な人だからこそ、いろいろしてあげたいからこそ、気になるし、気に触ります。
お互いだけを見るのではなく、外に目を向けて、お互いではないものを見たり感じたりすることが必要だと思います。そして、何を見たのか、感じたのかを話し合ってみてください。
一緒に居なかったのに、ずっと一緒に過ごすより、互いの心が伝わるかも知れません。
幸せそうな家族を見て思います。
大事なのは、
一緒に居る時間の長さより、心が伝わる実感ですよね。
なるのは簡単?
2012年3月30日(金)
今日は理学療法士、作業療法士の国家試験発表の日でした。当院でも3名の人が涙を飲む結果となりました。
彼ら3人にはこれから1年試験勉強という日々が待っています(あきらめなければですが)
話はちょっと変わりますが、
1988年公開の映画「プレシディオの男たち」。大ヒットと言うことはないんですけどショーン・コネリー、メグ・ライアンなんかが出てて、サスペンス映画として佳品ではないでしょうか。
「勲章は貰うのはやさしい。つけるのは難しい」映画のせりふです。
映画を見た当時弱冠24歳の私には今一つこの言葉が理解できませんでした。「あ、なるほど」と思えたのは確か30手前でした(頭悪いですね)。
この場合の勲章とは皆さんもお聞きになったことあるとは思いますが、アメリカの「名誉勲章」のことです。名誉勲章と言うのは「義務を超えた勇敢な行動、あるいは自己犠牲的行動を示した軍人」に授けられるそうです(ですから生きてこれを貰った人は非常に少ないそうです)。人命が救われた行動の結果に対してが多いようです。
「義務を超えた」行動ですから昇進はなし、昇給もなし。二等兵は二等兵のままですが、仮に(受賞者が)二等兵であっても将軍から敬礼しなければならないそうです。まさに「名誉」であって実利はないといえそうです。
それでは貰うのは簡単でつけるのは難しいとはどういうことでしょうか。 (さらに…)
ウォークラリー
2012年3月29日(木)
本日は学卒新人研修:6日目
ウォークラリー
各グループの中で、それぞれの役割(班長・ナビゲーター・記録・タイムキーパー)を決め、その後5分間隔でスタートするのですが、
この役割を決める段階で、それぞれのグループの特徴が伺えます。
このお題目に対し、コミュニケーションをしっかり取られるグループ
コミュニケーションはしっかりとっていると思われるが、お題目とは別のお話になっているグループ
他力本願でなかなか話がまとまらないグループ
力関係があるのか、その役割を押し付けあうグループ
などなど・・・・。
円になって話し合うグループ
対面になって話し合うグループ
などなど・・・・。
そのグループの個性がその姿勢となって現れていました。
そうこうするうちにスタート。
ああでもない、こうでもない、そうでもないと相談するのかと思いきや班長任せでした。
しかし、困った数が多くなればなるほど、
それに比例して、ああでもない、こうでもない、そうでもないと相談するようになり、
問題解決するたびに、徐々に相手の事に関心を示したり、会話の数が豊富になっていく姿が。
ウォークラリー終了後の昼食では、そのグループが円になり、
いろいろな苦労話で盛り上がっていました。
『同じ釜の飯を食べる』
仲間となったのかなと、少し微笑ましく感じました。
ウォークラリーの前に
2012年3月29日(木)
本日は朝から晴天でウォークラリー日と思いながら、ゴミ出し致しました所、
天気予報で『本日は花粉が多い日になるでしょう』に、さすが。
クシャミを連発、『グギッ』と思った瞬間、腰を痛めてしまいました。
『しまった』と思っても後の祭り、『動けない』。
何とか動ける様にはなったのですが、その時間は短し。
不安。
花粉と痛みとの戦いがスタート。
しかし天候のおかげか、それとも自然のおかげか、何とか若い方々に合わせて歩く事ができ、
任務完了。
皆様、花粉症を侮ってはなりません。
クシャミでこの様な事にならない様に注意致しましょう。
春がやってきた③
2012年3月28日(水)
♪春がく~ればおもいだす~♪
!!!
・・・・こないだと同じやがな \(・・。)
今週は、今日と明後日に国家試験の合格発表があります。
自分の合格発表前後にはいろいろあったので、
合格発表の日が近づいてくると、なんやらと思い出してしまいます。
私が就職した頃は、4月の中旬頃に国家試験の合格発表がありました。
ということは、入職研修中だったり、現場でお手伝いを始めた頃に合格発表があったわけです。
不合格なら、当然その日から無職となり、国家試験浪人生活が始まることもあって、
変なストレスというかプレッシャーを感じながら、合格発表を待って仕事していました。
そして、
合格発表の前日、業務中に脱水で倒れ、2泊3日の入院となりました。
このときの脱水の原因は、胃腸炎によるあげくだしと、
研修に慣れないことで、ほとんど水分を摂取していなかったことでした。
要は、おおむねストレスが原因だったということです。
そんなわけで、
国家試験の合否は入院しているベッドの上で、この部ログの紅一点さんに教えてもらい、
給料をもらう前に、勤め先の病院に支払いをするという、
とても恥ずかしい経験をすることになったのです。(このことで有名人になりました)
学校を卒業して、初めて就職して、
一人前に働くことは、とても楽しいことなのですが、
とんでもなく大きな環境の変化でもあり、心身に負担がかかります。
仕事となると、
いろんなことがシビアですし、そもそもなかなか慣れないし、
皆さんのストレスや不安も大変なものでしょう。
おまけに、自分の力以上に頑張ったりしますよね。
でも、
そんな風に、あんまり気張ってしまうと、すぐに心身が疲れてしまう。
私のように倒れる人や、五月病になる人もいるかもしれません。
長い人生を見越して、しっかりと働いていければ良いわけですので、
辛いことがあったら、上司でも先輩でも友達でもいいので、気軽に話して、憂さ晴らしをしてくださね。
一笑一少 一怒一老
2012年3月27日(火)
昨夜、テレビを観ていたら「一笑一少 一怒一老」という言葉が出てきました。
「人は一度笑うと一歳若くなり、一度怒ると一歳年をとる」という意味です。
しかし、怒ることは健康に良くない、老け込むからといってもなくすことは出来ません。
家でも職場でも怒らなければならないことはたくさん有ります。
それに、怒ることによって少なからず人を成長させることもあります。
でも、誰も怒らせようと思っているわけでもないし、怒られたいわけでもない。
だから、怒り方(けして感情に任せて怒ってるわけでは有りませんが・・・)が重要。
怒られる側がなんで怒られているか(自分はいま怒られたが、相手が怒るのも無理はない・・・)理解できるようすることが大切です。
笑いは人を元気にし、人とのかかわりの中で潤滑油にもなります。
お腹から笑うことで運動にもなるそうです。
「一回怒ったら、2回笑う」心がけたいものですね。
去る人、残る人、来る人
2012年3月26日(月)
もうすぐ新年度です。
年度が変わると、多くの職場で、スタッフが入れ替わると思います。
残る人には、いままで築いたものをさらに成長させて欲しいと期待します。
来る人には、これから真摯に取り組んで、成果を出して欲しいと思います。
そして、
去る人には、今まで職場で身につけたことを生かして頑張って欲しいと思います。
ただ、恥ずかしいことはしないで欲しいとも思います。
去った人=残った人や来る人ではありませんが、
去った人に出会った、うちの職場を知らない人から見れば、
去った人=うちの職場の全員 と思われてしまいがちです。
でも、それを修正することはできません。
こんな心配しなくても良い人も居ますし、まだまだ心配な人も居ます。
みんな当院の仲間です。
仲が良くても悪くても、ひっくるめて仲間です。
自分が職場を去るときに、仲間からそんな心配されないスタッフにはなりたいですね。
それが来年か、十年後か、定年退職するときなのか分かりませんが、
その時にそうなっておきたいです。
去る人 心配かけないで!
残る人 まだまだ成長しよう!
来る人 これからいろいろ頑張ろう!
私も...
13歳のハローワーク(あるいは教えたら出来る仕事なのか?)
2012年3月26日(月)
ご存知ですか。今から9年前に作家村上龍さんがものした「13歳のハローワーク」。
書店で手にとって見た時、とてもいいガイドブックだなと思いました。私自身13歳の頃を思い出すと、中学生と言えどもやはり見える世界、住む世界はずいぶんと狭く、世に存在する職業なんて数えるほどしか知らなかった事を覚えています。その数少ない職業の中から、先々の進路を決める事の難しさと言うか、寂しさと言うか。結局いろいろと考えてみても、やりたい仕事、出来そうな仕事に行き当たらなく、結局サラリーマンになるしかないのかと考えていた記憶があります。
そう言った点で「13歳のハローワーク」はこれから進路を決める中高生にとって、選択肢を広げるいい本だと素直に思いました。
後年、「13歳のハローワーク」はホームページになりました。そこでは本の頃より多くの職業が登録・紹介され、仕事の内容は勿論の事、どうすればそう言った職業に就けるのかアドバイスあり、適正診断あり、さらに実際にその職業についている大人たちのコメントがあり、進路に悩む中高生たちの相談にまでのるというとても懇切丁寧なものです。
私も時々覗いていたんですが、見るのやめました。せっかくのホームページが駄目人間育成校になっているような気がしたのです。
中高生を中心にして下は小学生から上は大学生の仕事に関する質問も多く寄せられ、それに対してさまざま職業に就く大人たちが答えていくと言う掲示板様のページもあるのですが、例えば「将来医師になりたいと思うのですが、どういった学校を出てどういう資格を取ればいいのですか」と言う質問が掲載されるわけです(例えばと書きましたが、実際にあった質問です)。
これに対して答えが寄せられたかどうかまで見届けはしませんでしたが、みなさんはどうお考えになりますか。小学生から医師になりたいとはしっかりした子だと?
残念ながらこの質問を寄せたのは高校生でした。私にはこの高校生には二つの問題があると思います。高校生でありながら医師になるにはどういう学校を出て、どういう資格が必要なのかわかっていない事と、本来自分で容易に調べられるように用意されたホームページを活用することなく安易に人に聞くことで済まそうとしている事です。
この高校生に限らず、ほんのちょっと調べればわかるような事を多くの子達が質問しています。あっさり教えてもらう事よりも、自分で考えて、調べて得た答えの方が長く記憶できるという事を知らないようです(だから学校の授業を半分も覚えていない人の方が多いでしょう。半分も覚えていられたら誰しも難関大学にいけます)。
リハビリテーションの学校に通う学生も同様です。就職後もちゃんと教えてもらわないと(仕事が)出来ないと臆面もなく言います。
就職ガイダンスの折に私はこう言い返します。「教えて出来るのなら、××××××雇わなくとも、その辺の×××××、×××××に教えてやらせた方が×××××、教えて出来る事に資格なんざ必要ない」(文章中に不適切、過激な表現がございましたので、伏字といたしました:広報委員会)
皆さんはどうお考えになるでしょうか。そのとおりだ!でしょうか。そうは言っても今時の人には難しいだろう、ですか。
医療と言うサービスを受ける利用者として考えたらいかがでしょう。自分ではわからず、考えず、人に聞いてすまそうという医師やセラピストに身を任せたいですか?病気後の将来を託せますか?
お見舞い
2012年3月25日(日)
本日は天候も回復した事も手伝ってか、家族の方々が多くお見舞いに来られていました。
その中で再度気づいた事があります。
利用者の顔が生き生きとしています。
リハビリスタッフの顔がいつもより精悍な顔つきです。
それよりも、
(多くのお見舞いの方々が来られたからこそできる事なのですが、)
利用者の家族同士であんなこと、こんなこと、そんなこと・・・など意見交換会をされている場面を見ました。
何気なく『意見交換は当たり前か』と思っていましたが、よくよく考えるとそんなに機会は多くありません。
特に、その問題に対して今現在直面していて、同じ目線での方々との意見交換は少ないと。
確かに、
精神的にも肉体的にもある程度、落着かれて家族会等参加して意見交換をしたり、
専門職からの意見交換やアドバイスであったりする事はありますが。
今抱えている、同じ目線の方々、同じ時を過ごされている方々が共に問題を解決しようとする環境も必要なのかも知れません。
確かに家族の方々は専門職からのアドバイスは大事であると思っています。
しかし、内容によっては決め難いともあるはずです。そういった場合には現実に溢れる意見が欲しいのかもしれません。
『・・・○○さんからはこの様なアドバイスされたのですが・・・どうだろう?』
この一言を私は気に留めたのです。
これ事態、確かに何も問題解決はされていませんが、解決するに妥当であるかどうか悩んでいる事が伺えたのです。
やはり、同じ境遇であるからこそ、共に問題解決へと導く、もしくは背中を押してくれる人が必要かも知れません。
ですので、ただお見舞いだけではなく、その様な環境が提供できたらと思います。
春がやってきた②
2012年3月24日(土)
♪春がく~ればおもいだす~♪ ・・・・季節が違いますね (・・。)ゞ
私にとっては、なんやらかんやらある季節なので、いろいろ思い出してしまいます。
たとえば、かなり軽いものでしたが、脳梗塞になったのもこの春です。
というわけで、若い人、健康体の人にこそ読んでいただきたい体験記のお話。
ちょうど、3月の送別会がいろいろ開かれている頃でした。