京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

そんなこと

遠藤

リハビリスタッフも悩みます

2012年8月21日(火)

リハビリスタッフも家族と一緒で、いつも悩んでいる事が有ります。

 

包丁やナイフを使わすか、使わさないか?

子育てでも経験した方は多いでしょう。

持たせるべきか、まだ早いか?

 

横についていても怪我をします。

でも、横についていないともっとたくさん怪我をするし、

大きな怪我をするかもしれません。

それに、怪我をした時に対応が遅れます。

 

だから、

親は横についています。

 

介護されているご家族の皆さんも同じ気持ちになる事が有るのではないでしょうか?

 

リハビリスタッフも一緒です。

リハビリでは日常危なくて、できない事を訓練でしたりする事が多いです。

訓練で怪我をしない保証は有りませんが、スタッフがついている事である程度防ぐ事ができます。

そして、怪我をした時にすぐ助けを呼んだりできます。

だから、怪我しそうな事までリハビリでする事ができます。

難しい事をしないで、難しい事ができるようにはなりません。

転けるはずのない事だけをして、転けにくい能力は身につきません。

刃物を使わず、刃物が使えるようにもなりません。

何も喉に通さずに、食べれるようにもなりません。

 

怪我をするから何もしない生活よりも、

怪我を抑えつつ頑張って勝ち取るワンランク上の生活を目指しています。

 

もちろん無駄に怪我をさせたくないので、絶対できない事をする訳では有りません。

難しい事をする時も可能な限り安全に配慮します。

ただただ、安全のためだけに、手に入る生活をあきらめたくないだけです。

いつも患者さんには限界に挑戦させてあげたいと思っています。

 

でも、一方の気持ちでは、

やっぱり絶対に怪我をさせたくないんです。

患者さんといる時は、いつもいつも、ハラハラドキドキです。

 

ご家族の介護をする時も、ハラハラドキドキする事があると思います。

今日のための安全、明日のためのハラハラドキドキです。

でも、絶対に無理な事は安全のためにやめておきましょう。

ハラハラドキドキを実行するためには下準備が大事です。

悩んだ時は相談しましょう。

 

今日もあちらこちらで、

ハラハラドキドキしているスタッフがいっぱいいます。

あんなこと

橋本

ブロガー紹介 課長の巻

2012年8月20日(月)

 

さてこの人です。

京都大原記念病院グループ リハビリテーション部の課長さんです。

彼は理学療法士ですが、理学療法、作業療法、言語聴覚療法すべてに睨みをきかせています。

実務面は部長より課長が取り仕切っているといっても過言ではありません(彼のおかげで部長は机の置物と化しています)。

理学療法士として腕も確かです。若かりし頃、単身ドイツへ技術の修業に行ったこともあります。

そんな優れものの課長さんの様ですが、彼には大きな欠点があります。

とにかく「話が長い」「話がわかりにくい」

新人だろうが誰であろうが、彼に話しかけるには時間的余裕を持っていないと、大変なことになります。

5分で済む話なら30分は時間的余裕がないといけません。

人事のK君は当直の飯にありつこうとしたときに、彼に捕まり3時間話し込まれ、食事は冷え切ったそうです。

朝の申し送りで彼がしゃべった後、若いスタッフが係長のところへ課長が何を言っていたのか確認しに行くこともままあるそうです。

ある学校の先生は彼のそういう特異な点を知らすに話したため、彼は気が狂ったのではないかと思ったそうです(2時間喋りっ放しだったらしい)。

 

彼の欠点はこれだけではありませんが、それを言うなら誰にでも欠点はあるし、それも一つや二つではないでしょう。私の持つ欠点だって彼に負けず劣らずあります。

そういう欠点を差し引いてもなお、課長は部長不在時にリハビリテーション部を任せるに足るだけの物を持っています(それを言うなら大なり小なりリハビリテーション部全員ですが)。

だから私も安心して各地の養成校へ就職説明会に行けると言うもんです。

 

 

 

へんなこと

土井

やってみて気づくこと

2012年8月19日(日)

約1年ほど前、出かけた先で妻と2人で食事を食べたときのこと。

どうしても、お肉腹であった私は、ステーキコースを食べました。

何年もナイフフォークで食べるような食事をしていなかったので、

「久しぶりやね」といいながら、

前菜やスープを食べはじめたまでは良かったのですが・・・

 

お肉とライスを食べはじめると、

どうも左手のフォークで口に運ぶ動作がやりにくい。

「なんか食べにくくない、このフォーク」と聞くと

「そう?」

「よく見ると、おしゃれな形やし、この微妙なカーブのせいかな?」

「手に馴染まないのかもね」

なんて話していました。

食べ進めると、

フォークの背にライスをのせるまでは良いのですが、

ライスを口に運ぼうとすると、落としてしまう。

かなり意識しないと、口に運べないのは・・・久しぶりやからか!?

 

と思っているうちに、

次第に左手に入る力が強くなってきて、手に違和感が出てきた

これって・・・・

ここでようやく、なんで食べにくいのかに合点が行きました。

数年前の脳梗塞(とっても軽い部類ですが)の影響だと。

病気の後、しばらくの間、何をするにも感じていた違和感でした。

発症後、

職業柄、どういう風にしたらうまく使えるようになるかを細かく考えて、

工夫やトレーニングをしていたので、

利き手ではない左手でも、さほど困らないくらいには問題をつぶしたつもりでしたが、

ナイフとフォークで食べる食事が、特別な手の動かし方だなんて、考えても無かったのです。

それに、ナイフとフォークで食べるのに必要な動作の中には、

「その手の使い方をさせないようにリハビリする」と教えられた動きがありました。

 

どんなことでも、実際やってみないとわからない・・・は正直な感想です。

トレーニングしてからリベンジしましたが、ちゃんと快適に食べられました。

快適に食べられると、よりいっそう美味しくいただけるのは不思議ですね。

 

しかし、箸を使う動作も難しいけど、ナイフとフォークやるな・・・

あんなこと

土井

夏の思い出

2012年8月18日(土)

夏も後半になり、

こんがりと日焼けをした人も多くなったように思います。

といっても、

昔は黒々とした人ばかりだったと記憶しているのですが、

最近は、子供ですら真っ黒の子ばかりではないので、ちょっと寂しくもあります。

毎日遊び倒していた時代とは、だいぶん違うのでしょうね。

私は、生まれながらに日焼けしにくい体質で、

赤くなって、皮が剥けて、落ち着いた頃にしみやほくろが増えるだけでした。

暑さに強い方ではなかったので(今もですが)、

朝夕とプール以外は活動する気も起こらないもやしっ子の私は日焼け無し。

 

そんな私ですが、

18〜20歳の頃(学生でした)、真っ黒だった時期があり、

真っ黒な人を見るとその頃を思い出します。

18歳では、親戚の左官屋の誘いで、左官と大工手伝いのアルバイトをしていました。

19歳では、いとこの誘いで、土木関係(いわゆる土方)のアルバイトをしていました。

20歳では、知り合いのおっちゃんに薦められて、鳶職のアルバイトをしていました。

学校が夏休みに入ると、日曜日以外は全てそんなアルバイトばかり・・・、

夏が終わる頃には、暗がりでは誰か判らないくらい真っ黒になったのでした。

(夏休みが終わると、すぐ元に戻ってしまって、ホクロとシミだらけ・・・)

そもそも、

もやしっ子でしたので、建築関係なんて縁遠い生活をしていましたが、

もやしっ子なりに筋肉や皮膚が強くなったし、

いくら日焼けしない体質でも、真っ黒になるもんだ・・・なんて思っていました。

 

さて、この頃は、何の役に立つかなど考えず、

家や下水や工場やビルがどうやって出来るのか?を見るのが楽しくて、

そして、学生アルバイトにしては高額な、ほぼ一人前の日給を貰えるので、

がっつりとアルバイトをしていただけでした。

 

しかし、

リハビリ職種となった今、

図面が読めたり、工法がわかったり、法律的な制限に気づけたり、

職業の本筋と関係のないこの知識は、住宅改修や福祉用具選定で役に立っています。

各建築関係の職業の方といろいろ話したことが、特に役に立つのです。

 

リハビリという職種は、

「体が動くように・・・」「在宅復帰」「職業復帰」「社会復帰」を考える仕事です。

普段の自分の生活の中で全てのことは体験できないですし、

世の中には、教科書的な知識だけで解決するような仕事や活動は存在せず、

自分にとって、縁遠いような領域や業界の知識もかなり役立ちます。

 

リハビリ職種を目指す学生さんは、

学生時代という時間に余裕がある時期に、

様々なアルバイトや活動を通じて、幅広い体験をしておくことも勉強だと思いますよ。

へんなこと

遠藤

カメラ買っちゃった

2012年8月17日(金)

実は、この前海にカメラを持って行くと、
私のカメラに砂が絡んでダイヤルボタンがザリザリと異音を発しまして、
これは故障の元だという事で、
買う事に決めました。
防水カメラは基本的に取った写真のキレイさが、さほどという印象を持っていまして、
買うのはかなりためらっていたのですが、
今のカメラが砂で壊れるのは困りますから、カメラを買いに行きました。

 

カタログを見たり、インターネットで検索したり、店舗で実際のカメラを触ったりして、
決めました。
今回は写真のキレイさよりも、
持ち運びの簡易さと、自分の持ちやすさと、見た目と値段で決めました。

 

要は、きれいな写真を撮るのは1台カメラを持っているし、
あくまでも日常の遊びに持ち運びしやすいカメラとして買いました。

 

そしておまけで、子供用にも1台買いました。
大人用と違い、子供用は操作の簡単さと、小さすぎない事と、単三電池で動くって事と、値段重視です。
※ボタンが分かりやすく、電源を入れて、シャッターを押すだけの簡単操作が一番です。
※子供用はやっぱりバッテリーより電池で動くほうが子供も分かりやすいし、対応しやすくて良いかと思っています。
※小さすぎると息子はまだレンズを避けて持つって事ができませんから、ある程度大きくないと手でレンズをふさいでしまいます。

 

次に海に行っても、今度は壊れる心配なくカメラが使えると思います。
息子はシャッターを押すときに腕ごと下がってしまいますが、何とか写真が取れるようで、
時々遊びで貸していた私のカメラはファインダー越しでしか撮れず(ライブビュー機能がありません)、
重くて息子の力ではレンズを上に向けて維持する事ができなかったのですが、
今回のは軽いので使いやすいようです。

 

ファインダーが無いのに最初ファインダーがありそうなところに目を寄せて、
撮ろうとするのは少し笑いました。
しかし最近のカメラは本当にファインダーが無いんですよね。
ライブビューっていうこの機能しかないのは、
ファインダーで撮るのに慣れた私には、構え方が分からなくて撮りにくいんですが…。
時流ですね。

 

道具は使い分けも大事ですよね。
でも、使い分けるときは何かをあきらめて何かを選ぶ必要があります。
今回はカメラでしたので、高画質をあきらめて、気楽にアクティブに使える事を選びました。
でも、画質をあきらめたおかげで、値段も抑えられたし、遠慮なく気楽にアクティブに使い倒せますね。

 

福祉用具でも同じです。
全部ができるものは基本ありません。何かをあきらめて、何かを選びます。
できるものを探すより、あきらめられる事を決めるほうが難しい事がいっぱいあります。
でも、何かをあきらめたおかげで、したい事に専念できることもあり、
それが何よりも使いやすさにつながる事もあります。

 

何でもできる多機能だからって満足できないって事は彼も言っています

 

物を選ぶときは、後でこんなつもりじゃなかったと後悔しないように、
しっかり何をあきらめるか選んでくださいね。

あんなこと

橋本

基準

2012年8月16日(木)

今日は京都五山の送り火です。地方から来た人は来てびっくりという感じになりますが、私自身京都に来るまで「大文字送り火」だけだと思ってました。他に「妙法」「左大文字」「鳥居形松明(要するに鳥居の形)」「舟形万灯篭(要するに船の形)」という送り火のバラエティがあるなどとは知りもしませんでした。

私がしっかり見たのは一度だけなんですけど、送り火が終わると夏も終わりに向かいだしたなって感じになります.。

また明日もある養成校で就職説明会です。今月はまだまだ説明会の予定があり、多くの学生と面談する事になると思います。

実習に来ている学生を評価する場合は、知識の有無や技量の巧拙で可、不可を決めるのではなく、将来(卒後)一緒に働きたいかどうかで決めろと実習指導者に言ってきました。

 

求人にあたっては一体何を採否の基準にしたらいいんでしょうか。学生の実習合否と同じでいいのか、違う基準なのか。そもそも学生の実習評価基準はそれでいいのか。先日8/13のブログ「病院の良し悪し」を書いた後、いろいろと考え込んだトム・クルーズです。

 

「病院の良し悪し」を自分自身が入院したい病院か否か、あるいは自分の親を入院させたい病院か否かで考えるとしたら、人(セラピストというか医療人)の採否も我が身や自分の親を任せられるに足る人物に将来なれる可能性があるか否か(長いね)と、いうことになるでしょうか。

これって…自分で考えといて言うのもなんですが、難しい選考基準になります。

採用面接どころか説明会で採否を悩んでも仕方ないんですけどね。

 

次の私のブログは8/20です。

へんなこと

岩崎

肥やしにする

2012年8月15日(水)

お盆です。

お盆を過ぎると日に日に涼しくなり夏の終わりを感じます。

夏の終わりと言えば宿題。

思い出します。

この時期になりますと慌てて宿題をするのですが、

いつも

もう少し計画通りに遣っておけばよかったとか、

もう少し夏休みが長ければ良いのになとか、

何でこんなに宿題があるのかと思ってみたりしました。

いつも後悔の念に駆られながら、毎年同じ事の繰り返しです。

皆様は如何でしょうか?

 

仕事をしてからは、この宿題について懐かしく思う事が多くなりました。

 

学生時代、宿題は先生から与えられと思い込み、

勉強は嫌だな、遣りたくないなと感じておりました。

しかし、

仕事をしてからは宿題はないものの、

物事を余りにも知らなさ過ぎて恥を掻くことになりました。

その様なことで

勉強への大切さ、宿題をすることへの必要性を改めて感じるようになりました。

今では自ら宿題を作り、日々勉強させて頂いております。

ですので、宿題や勉強は嫌だなとは思わず、

自分の肥やしにするためにも、ここはしっかり取組んで見て下さい。

こんなこと

遠藤

手を鍛えることと解決すること

2012年8月14日(火)

手技を身につけるために、普段から手を鍛えることを彼が書いていました。

 技は感覚が大事だと思います。

誰かが言ったとおりに、教科書に書いてある通りに動かしても

適切で微妙な調整を随時できないと到達しません。

 

介助も同じです。

 
たとえば、同じ移乗の介助でも、相手が裸だったりしても、
ちゃんと持てる人と、持てなくなる人が居ます。

 

これは、普通は持てなくなります。
だから、入浴介助がとても難しいのです。

 

で、持てる人に教えてもらおうと思っても、教えてもらえません。
なぜなら、教え方が分からないからです。

 

持てる人は、気づいたら持てるようになっているんです。
何が違うかといえば、彼が言ったようなことなんです。
じっさい、なぜ介助のときに手が張り付いて持てているのか?言葉で表現は難しいのです。

 

でも、持てないからといってあきらめる必要はありません。
この世には福祉用具や自助具といったお助け道具を考えたり、作ったりする人や会社があります。
お風呂で介助するにも、リフトや介助ベルトもあります。

 

そして、
ご家庭では用意できない道具や人手を使った介助で入浴させてくれるデイサービスやデイケア、
訪問入浴などのサービスがあります。

 

介助ができるようになることも大事ですが、どうやって解決するかが生活上の介護ではとても大事です。
そして、いろんな解決方法があります。
あなたの家庭生活に合った解決方法を探してください。

 

私たち作業療法士も、お助け道具を考えたり作ったりする職種の一つです。
確か昔、訪問リハビリの求人広告で「スプーン一本から住宅改修まで」ってボスが書いていましたね。

そんなこと

橋本

病院の良し悪し

2012年8月13日(月)

昨日は京都府の理学療法士・作業療法士・言語聴覚士就職フェアなるものが、京都のイベント会場で行われました。

各養成校で行われる説明会と違い、学生さん自身が会場におもむいて就活するわけですから、熱心な学生さんが多かったですね。

いろいろな質問を受けるわけなんですけれども、視点が「働く人間にとってどうか」という点だけなんです。給料は?休日は?勉強会は?教育体制は?等など。

 

病院(施設)の良し悪しは、患者さん(利用者)にとってどうかという点だけなんです。自分が患者(利用者)だったらそこに入院(利用)したいのか、自分の親をそこへ入院(利用)させられるのか、それだけです。

 

働く人間にとって良い環境でも、患者さん(利用者)にとって良くなければ、良い病院(施設)とは言えないでしょう。そういうところはいずれ潰れます。

働く人間にとって悪い環境でも、患者さん(利用者)にとって良ければ、良い病院(施設)です。そういうところはいずれ職員にとっても良い環境を作り出すでしょう。

 

そして良い病院(施設)を作り出すのは院長(施設長)の仕事じゃありません。職員一人ひとりが作るものなんですけど、理解できてない人が多いような気がします。

とても評判が悪い病院があるとします。治療実績はそこそこなんだけれども、とにかく職員の対応(接遇)が悪い。そんな病院へ何も知らない見舞い客が初めて病院を訪問したとします。初めてなので勝手がわからず、職員に声をかけたとしましょう。その声をかけた職員がたまたまその病院でただ一人応対が良い職員だったら?きっとその見舞い客にとってはとても良い病院になるのでは?

逆ならどうでしょうか。とても評判が良い病院があったとして、そこを初めて訪れた見舞い客が声をかけた職員がたまたまそこで最低最悪の職員だったら?

 

そう考えれば病院(施設)の良し悪しなんて、職員一人の力でも何とかできるもんだとは思えませんか。問題はそう考える職員がどれだけいるかじゃないでしょうか。そんな職員の数で病院(施設)の良し悪しが決まるのかもしれませんね。

 

次回私のブログは8/16です。

あんなこと

岩崎

話せる

2012年8月12日(日)

話せる人について、少し考えて見ました。

きっかけは、久しぶりに里帰りされた同級生に遭いました。

その方とは、もう十年近く話した事はありません。

昔は互いに家に行ったり来たり、時には一緒に叱られたりする仲でした。

お互いにいろんな事があり、連絡を取り合う事も知らず知らず少なく、気付いたら十年も経っていました。

始めはお互い容姿の変貌にやや戸惑いながらも、昔の面影をたどる様な会話でした。

そのうち、相も変わらない互いの性格であったのが幸いか、知らず知らず話し込んでいました。

一瞬、感じたのです。

なぜ話せるのかな?と。

 

若い時は、

知った事、気付いた事、それを待たずして

すべてを話せることが出来る、その人への信頼であり、話せる人と思っていたと。

 

しかし、月日が経って

それは聞かない、話せない事。

知ってしまっても気付かないふりをしてあげること、

時に、そのタイミングときっかけを待ってあげる事。

すべて話せない事もある、それらすべてを互いに認めているからこそ信頼したのかも知れません。

だから、話せたのではないだろうか?と思いました。

 

時に人は深みのある時間を経験すると共に、信頼する内容までも成熟するのかもしれません。

その様になって本当に互いに話せる人になるのでしょうか。

私は試練と経験が少ない様で、

スタッフから話せる人になるには、まだまだ遠い道のりになりそうです。

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