失われていくもの
2013年1月21日(月)
一昨日、大津市の小中学生の書初め展へ行ってきました。
若さゆえでしょうか、彼らの柔軟な頭に大変感心しました。
大人だったらこうは書かないだろうなという書き方なんです。面白かったので写真にとって、文字だけ抜き取りました(個人名が入っていたので)。
1番目は会場に入るなり目に入った作品です。「び」が大きく書かれ、本当に蛇のような感じが出ています。
2番目はなぜ「へび」ではなく「えび」なのか、蛇を海老と勘違いしていたのか、その不思議な言葉選びを面白く感じました。
もしかしたら「へび」を「えび」と訛る子供だったのか(遠藤周作のエッセイに老人の言う蛇を海老と聞き間違えて悪食させられる話があります)。
いずれにしろ「び」は蛇のようですね。
3番目は提出用の紙が縦長だったためか、「み」を思いっきり縦長にして蛇を表現しようとしたのでしょうか。
いずれにしても頭が固い大人ではなかなかこうはいきません。
どんな言葉を書くかも、「えび」でお分りのように自由に選択できるようですが、大抵は干支や新年にふさわしい言葉、一年の計にふさわしい熟語などが選ばれるようです(中学生は四字熟語が多かったです)。
中学生の作品で一つ「新快速」というのがありました。作品それぞれに解説があるわけでもなく、何故「新快速」なのか、何故「準急」や「各駅停車」では駄目なのか。そもそも何故書初めにその言葉を選んだのか不明です。
彼らにはまだこうあるべきや、こうでなければならないや、習慣、慣習というものが完全に備わっていない。それらは大事なことでもあるわけですが、これからの問題解決においては、それらより柔軟な発想こそが役に立つ事が多い事も事実です。
悲しいかな、高等教育に至るまでの義務教育や環境がその貴重な能力を損なっているようです。
次回私のブログは1/25です。
であるからこそ
2013年1月20日(日)
昨日、ニュースを見ていましたら、
2011年度、4日以上病気で休まれた件数:4,822件。
腰痛が職業病の全体の6割を占める。
職種は社会福祉施設が多い。
発生時期は月曜日が多い。
だそうです。
私も含めて医療・福祉で働いている方々にとっては耳の痛い話です。
確かに肉体的な労働である事には間違いではありません。
であればこそ『体をメンテナンス』しておく必要があります。
しかし、それだけで問題は解決するのでしょうか?
『体にやさしい姿勢』『体の負担にならない作業』『体の助けになる器材』など、常に考え実践してこそプロではないかと思うのです。
当たり前の話ですが、
ニュースで、この様な話を聞くと介護のプロで腰痛が多いのであれば、『素人が同じ様に介護をすると当然、腰痛が起こる』のでは?と思う事でしょう。
そうすると家族の方々は、『介護負担が大きいと思うので自宅には無理です』と、拒否されてしまうケースは少なからずあるのでは?と考えます。
その様にならない為にも、
『我が身が安全(腰痛が起こらない)に、安心した介護が出来る』=ならば=やって見よう、としたいものです。
であるからこそ、腰痛が少ない仕事作りをしていく事も大事です。
※自分がしんどいと思う介護は、誰がしてもしんどい介護。自分が楽だと思う介護は、誰がしても楽な介護。
そうする事で、少しは自宅復帰に繋がるケースもあるのではないでしょうか?
たまのことだから・・・
2013年1月19日(土)
昨日、京都にも雪が降りました。
朝自宅を出るとき、道路には雪はないものの凍てており、
車のボンネットには4cm積もっていました。
大原まで出勤すると、路肩で4~5cmぐらいの積雪でしょうか。
昨日の大原は、午前中を中心に断続的に降っていたので、
今朝も凍てている場所もあり、景色は白いです。
こういう雪の日に出勤すると、いつも目にする光景ですが、
雪や凍てた道では明らかに滑る運転をされている人、
スタッドレスなどの滑り止めを装着していない車、
異常にノロノロ走っていたり、車が蛇行したり・・・を多く見かけます。
そういえば、
今月の関東での積雪で大混乱・・・のニュースでもそうでしたね。
でも、降雪地域では、数センチ程度雪は、さほど問題になりません。
いろんな意味での備えが違うことを実感します。
だからといって、
雪道を練習して技術を身につける必要も、タイヤを買う必要もなく、
公共建造物が無駄に雪国仕様になる必要もないと思います。
ただ、車の危険性を考えると、備えがないのに何とかするのは難しい。
今は必要ないし・・・たまのことだし・・・その時はその時だし・・・
理由はどうあれ、備えていなければ無理をしない、ということも大事なこと。
「備えあれば憂いなし」より、「無いなら、乗るな」を痛感した2日間でした。
結局…
2013年1月18日(金)
色々な書類をパソコンで入力することが増えました。
たくさんその場に出あうわけではありませんが、
時折、おっっっと思うことがあります。
それは、名前の漢字が入力できないことです。
文字は規格があります。それから漏れる漢字は普通には入力できません。
特に名前は規格から外れた字体が使われていることがあり、
入力のしようがなくなります。
意外と簡単な字でも、その字は無いって事もあります。
手書きだったらそのまま書類に書けますが、ここはパソコンの限界です。
もちろん外字登録などの技もありますが、他のパソコンと共用している場合、
他のパソコンからは文字が読めなくなったりして、もっと問題が大きくなります。
パソコンも、パソコンソフトも優秀になり、こんなに普及して、いろんなことができるのに、
ワープロの時代からこの課題は残っています。
介護用品も、車椅子も、訓練器具も、検査器具も、施設の環境も、
どんなに便利になっても、人間わざの融通が利く便利さにはなりません。
人手と時間を無尽蔵に使えるなら、人がする方が良い事も多いのでしょうね。
最後は結局「人」です。
人ができること、それこそが質を高めるのでしょう。
道具は上手く使えば質を高める手助けにはなります。
しかし、最新の道具があったとしても、
最後にちゃんとした質を保障できるのは「人」なんだと思います。
※ 一手間を惜しまないことが質を高めます。
いまも就職活動中の方は、
施設を見学することも多いと思います。
見学では、紹介される目新しい施設の環境や、新しい道具に目がいきがちと思います。
でも、その環境も、その道具も、
就職して5年も経てば、他所の施設がもっと新しいものを持っています。
でも、そこに居る人々は、その時までのその施設を象徴しているはずです。
自分が患者さんや利用者さんになったときに、通いたい、泊まりたいって思いますか?
見るだけでは分からないかもしれません。
しかし、そんなところも環境や道具、そして、「人」を見て、いろいろ質問して、
探ってみてはいかがでしょう?
ならぬことはならぬもの。。。
2013年1月17日(木)
NHKの大河ドラマ『八重の桜』見てらっしゃる方も多いのではないでしょう。
このドラマの中で10人前後の子ども達がみんなで唱和していた『什の掟』
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
『ならぬことはならぬものです』
この内容は「年上の人の言うことに背くな」「きちんとお辞儀をしろ」「嘘をつくな」「卑怯なこ とをするな」「弱いものイジメをするな」というもの。
(「外でものを食べるな」とか「外で男女が言葉を交わすな」ということは今の世の中にそぐいませんが・・・)現代に置き換えても当たり前にしなければならないことではないでしょうか。
慣らし
2013年1月16日(水)
昨日より、うちの第3子の慣らし保育が始りました。
はやいもので、産まれてから来月でちょうど1年、1歳になります。
来月下旬、1年ちょっとの産休育休から妻が復職することになりましたので、
これから約1ヵ月の期間で保育園生活に慣れてもらわないといけません。
それは、子供だけでなく、親の方にも慣らしが必要のようです。
3歳前後になると自宅付近からバスで保育園に通えるのですが、
それまでは、朝に保育園に直接送る日々が続きます。
起きる時間は、30~40分は早くしないと間に合わなさそうです。
季節は冬。日が短く、寒い時期に早起きに慣れるのは至難の業・・・
かなり頑張って、習慣づけないといけませんね。
ついでに、朝のバタバタがなくなる方向で、上の子2人にも慣れてほしい・・・
と思うのですが、それは無理かなぁ、やっぱり。
夫婦のどちらかが家事、どちらかが仕事の方が、
体は楽ですし、家族の時間は多く取れるのですが、
家計的には2馬力の方が楽になりますし、
夫婦どちらも自分の仕事を持つことは、自分の世界が持てること・・・
だと思いますので、私的には働く女性を応援したいと思います。
さて、目下、私が取り組まないといけないのは、
早起きと、1年間妻任せにしていた家事を折半する生活に戻すこと。
そして、少なくなる家族の時間を大切にしないといけませんね。
大人って何でしょう。
2013年1月15日(火)
昨日は成人の日でしたね。
成人の日が1月15日の固定ではなく、1月第2月曜日となったのは、何時からだったでしょうか。多分昨日祝賀式に参加した新成人の記憶にもないくらいの時間は経過していると思います。
成人(20歳)と言うのは一つの節目である事は間違いないわけですが、本当に大人か、と問われれば議論の分かれるところでしょう。
私見ですが、今の20代の行状を見てきた限りでは、30歳で成人でも早すぎる感のある人多いですよね。
ですから早ければ21歳か22歳でセラピストになれると言う事態、はなはだ疑問です。もっと言うなら大卒22歳で小中高の教員になれるという制度は、異常ではないかと感じています。
一体成人というか大人の条件って何でしょうか。
意見は人によって様々だとは思いますが
責任がとれることでしょうか。
じゃあ、責任がとれるというのは、どういうことを言うんでしょうか。
自立していることでしょうか。
じゃあ、自立とはどういうことを言うんでしょうか。
必要最小限の教育が終わっていると言う事でしょうか。
じゃあ、必要最小限とは?
基準は定かではありませんが、少なくとも食言しているようでは責任が取れるとは言えないでしょうし(食言ばかりの政治家なんてのもいますしね)、親元が楽と言っているようでは、どれほど稼ぎがあっても自立しているとは言い難いですし、挨拶も出来ない、読み書き算盤も出来ないでは、大卒と言えども必要最小限の教育を受けたとは言えないでしょう。
次回私のブログは1/21です。
今年の運勢!?
2013年1月14日(月)
今日は『東京慈恵会医科大学 安保主任教授の診察日』です。
当院で昨年10月からスタートした、
TMS(経頭蓋磁気刺激)治療+集中リハビリテーションの組み合わせによる短期入院プログラム
『NEURO15』
実際にこの治療を受けられた患者さまの反応も良好で、
今日もたくさんの方が診察を受けに来られています。
ところで、みなさん初詣は行かれましたか?
我が家では毎年家族揃って初詣に行き『おみくじ』を引きます。
厳かな気持ちになって主人から引き始め、長女、長男、私・・・
で、一番初めに引いた主人のおみくじは『凶』・・・
子ども達の『吉』、『小吉』に続いて引いた
私のおみくじも・・・『凶』
夫婦二人して『凶』を引くなんて我が家の今年の運気は・・・と
新年早々どんよりとした雰囲気に。。。
でも、発想を変えて、
これ以上下がることはない。
昇っていくだけ。
そう思って過ごせば自然と運気も上昇して行きますよね!
できること、すること
2013年1月13日(日)
それなりに年齢を重ねて、さらに軽い脳梗塞やぜんそくの既往もあるので、
いろいろと体の変化を感じること増えてきました。
どんな人でも、40の声を聞く頃には老化の足音が聞こえるようになり、
だんだんとできなくなることが増えくる・・・ことを実感する日々です。
例えば「走る」
趣味や健康のため、積極的に運動されている方でなければ、
普段の生活で走る機会もそうはないですよね。
せいぜい小走りぐらい。
そうすると、40代頃には20代前後の走り方はできなくなってきます。
これは、実感されている人は多いのではないでしょうか?
人間、一度できても普段やらないことは、
急にやろうとしても以前のようには出来なくなる・・・ようにできているそうです。
でも、
走ることはもちろん、その他いろんなことを考えてみても、
数日限りの休みや、1日など短期間の頑張り程度で、変化は起こるでしょうか?
といわれると、
経験上そんなことはない、と感じる方のほうが多いのではないでしょうか。
あたりまえのことですが、
変化したり、維持したり、そのために必要な運動負荷や回数があります。
その量も、その人の体質など個別性も多く、人それぞれ。
また、
その動作を上手に1~2分やることができても、
実際のその仕事(活動)では30分続けてやる必要があれば、
30分またはそれ以上やらないと、その仕事ができるようになりません。
私は子供のころから、筋肉がつきにくい体質だったので、
学生のころの部活動で、皆と同じ筋トレをしていても、
周りの人はすぐ筋肉が強くなって、だんだん慣れてくるけど、
皆と同じ運動量では、
いつまでたっても、さほど筋肉に変化なく、つらいまま・・・でした。
でも、どんな仕事や運動でも、どうしてもしないといけないことは、
得意苦手・合う合わないに関係なく、必要にかられて取り組んでいると、
それなりにはできるようになってくるもので・・・人間って、不思議ですよね。
結局、できるかどうかよりも、日々やること、やり続けるが大事です。
いつでもできるようでいたい、実用的にやらないといけないようなことは、
「昔取った杵柄・・・」「ちょっとやれるから・・・」と放置せず、
能力が失われないよう、日々やっていかないと・・・ですね。
してあげる介護?
2013年1月12日(土)
当グループには、介護老人保健施設が2つあります。
京都大原記念病院と廊下続きで建つ「博寿苑」と、少し離れ(徒歩20分、車で5分程)て建つ「おおはら雅の郷」があります。
私はこの1月より、京都大原記念病院からこの2つの介護老人保健施設へ異動になりました。
介護老人保健施設は久しぶりに担当です。
懐かしさをかみしめる中、ちょっと思い出したことがあります。
「してあげたいって思い」が強い人はボランティアは続かない。
って、昔テレビか何かで、ボランティア団体の方が話していたのを聞いたことがあります。
してあげたいって思いが強い人はどうなんでしょう?
でも、そうかも知れません。
してあげたいって思いを満足するには、
自分がしてあげたいことが出来ないと満足できません。
そこに介護される側の思いは汲まれていません。
そのままでは、強要する介護になってしまいます。
そして、してあげる満足はがんばらないと達成できません。
それは自分に負担をあえてかけていくことになります。
すると、頑張ったわりに喜ばれず、場合によってはクレームがきて、空回りして疲れるってことでしょうか?
本当は、してあげたいよりは、しても良いよぐらいの方が良いのでしょうか?
そこを手伝ってほしいならしても良いよ。
これを準備しておいてほしいならしても良いよ。
って。
そこには介護される側の意思があります。
実際のところ、どうかと言われても分かりませんが、
思い入れが強いと、介護される側も言いたいことが言えないこともあるのは知っています。「一生懸命してくれているのにそんなことはよう言わん」って。
お互い、過剰に気を使い合って、なぜか浪費し合って生活していたりします。
だから、してあげるって思いだけでは駄目な気がします。
介護される側の意思を慮ってすることも必要だと思います。
それが例えちょっと物足りないって感じる介護でも、後で、なにげにフォローすれば良いやって思って、時には肩肘張らず、相手の言う通りにするのも有りなのかもしれません。
さじ加減は未熟な私には分かりませんが、
頑張るだけが良いことではないのでしょうね。